動詞(Verb)の機能



この章では、次のような文を扱います。 He batted out burning patches.
He slapped out flames.
Bill's mind snapped into focus.
Staggering to his feet, he shuffled on toward the farm house.
The heat and soft sand sucked away his stamina.


目次

  1. 【英語のVerb は日本語の「動詞」に対応しない】
  2. 【 日本語の動詞と英語のverbの関係】
  3. 【動詞は形容詞である】
  4. 【概念と概念の関係】
  1. 英語のVerb は日本語の「動詞」に対応しない】

    He batted out burning patches.
    He slapped out flames.
    Bill's mind snapped into focus.
    Staggering to his feet, he shuffled on toward the farm house.
    The heat and soft sand sucked away his stamina.

    不思議なことにこの問いを発する人は全くいないようです。語学の研究者はあまりに も辞書に依存したアプローチに慣れてしまっており、英和辞書で"verb"を探し、その日本語訳として「動詞」という語がありさえすれば、verb = 動詞 が正しいと結論してしま うのです。このような人達は、日本で最初に英和辞書を作った人(達)がどのようにしてverbのような英語の語に対して「動詞」という日本語を対応させたのであろうかということに思いを馳せる初歩的な想像力さえ持ち合わせていないようです。結論から言いますと、残念ながら verb の訳語として「動詞」を採用したということは正しくありません。英語の verb という語は、verbalなどと関連しており「口頭による」等の意味と関連していることは明らかで、「動きを表す語」という意味の「動詞」という日本語は不適当です。むしろ「述語」という言葉のほうがverbの本来の意味に近いのです。この「日本語の動詞が英語のverbに対応する」ということが英語学習における大前提となってしまっており、これから説明するように、日本人の英語表現力の大きな妨げになっているようです。

    verbが動詞に常に対応しているなどという無邪気な考え方がウソであるということな どは実際の英語に接すればすぐに分かることなのですが、Timeを読んでも、CNNを聞いて も、結局、既に自分が知っていることを確認するだけに終わってしまう人がほとんどなのです。次に例として挙げる英文は英米の多くの家庭が講読している Readers' Digest誌からの引用です。

    上の下線部分は基本的なverbをニュアンスを付け加えられて書き換えたものであることに注目してください。

    He put out burning patches. => He batted out burning patches.

    ...put out flames .....=> ...slapped out flames ....

    Bill's mind came back into focus => Bill's mind snapped into focus.

    Getting to his feet, he walked on toward ....=>Staggering to his feet, he shuffled on toward ....

    ...the heat and soft sand took away ...=> ... the heat and soft sand sucked away ....

    このような場合の "verb"は多くの場合、辞書には載っていませんし、さらに、本当の日 常会話では、実の様々な言葉がverbとして使われているのです。そのような verbを辞書 でいくら探しても出てこないのです。少し下品な表現も含めて、「私は帰る」という場合などを例にとっても、英米の大衆は次のように表現しているのです。

    海外留学も悪くはありませんが、学校で講義を受けるばかりが勉強ではありません。 特に言葉の場合は、街に出て実際に人々が使っている言葉をよく聞く方が多くのことを学ことができるのです。「スラングだから」とか「失礼な言葉だから」などと言っていては言葉の本質には到達しません。上の例では、日本語の「帰る」という動詞部分は英語の"off"という「通常の形容詞 b」で表されていることが 分かります。
    言語学者達が二つの言語を比較する場合においても、この「英語のverbは日本語の動詞に対応する」という前提を疑うことなど思いもよらず「日本語と英語の 動詞の比較」などという意味のない比較を行なってしまっているのです。日本語と英語のように高度に発達した言語体系を比較する場合、何よりも一番初めに行なうべき作業として、日本語の何が英語の何に対応するかということを決定する必要があります。この対応関係をみつける最も基本的な手法は、数を数えることです。例えば、日本語の動詞の数や、英語のverbの数を数えるのです。両言語の表現能力が等しいものという仮定のもとでは、もし日本語の動詞が英語のverbに対応するならば、その数はほぼ等しくなければならないのです。このような二つの異なった、体系(= 空間)を比較するときの最も基本的な作業が、英語と日本語という二つの異なっ体系の比較に対し全く行われていないのです。そして、実際は英語のverbの方が、日本語の動詞より圧倒的に数が多いのです。このことは、verbと動詞が対応していないということを示す最も簡単な証拠です。英語と日本語という二つの異なったシステムを比較する場合の基本操作を怠った結果が、現在誰もが疑おうとしない「verb=動詞」という誤った関係です。

  2. 【日本語の動詞と英語のverbの関係】

    この関係は、かなり複雑で、次のようになっています。

    1. verb = 動詞の場合 --- S+V,S+V+O文型
    2. verb ≠動詞の場合 --- S+V+C, S+V+O+C, S+V+O+O 文型の場合

    verb=動詞の場合は説明する必要がありませんが、verb≠動詞の場合を説明しておきます 。

    下の各文を比較してください。

    英語の下線部(verb)と日本語の下線部(連用修飾語)が対応していることは明らかで 、日本語の「東京に行く」という部分(動詞)は英語では"to Tokyo"という部分で表現されているのです。日本語の文法用語である「連用修飾語」は「副詞」とも呼ばれ ています。つまり、この場合(S+V+C)は、英語のverbは日本語の副詞に対応してい るのです。このことはまた次のことをも意味しています。それはこの場合「 日本語と英語の語順が同じ」であるということです。


    We = 私達は
    drive = 車で
    to Tokyo.= 東京に行く。

    このように、正しい英語の見方をすれば、語順でさえもが同じになってくるのです。 日本人にとって英語が難しい理由は決して語順などではありませんが、初心者に対して英語と日本語の語順の違いが必要以上に誇張され、英語が理解できる人の頭の構造はそのように異なった語順に対応できる非常に複雑なものなのだという恫喝が英語学習の初期に行われているのです。では英語のverbが日本語の動詞に対応しているという明らかな誤りの関係がどのようにしてできたかというと、これはあくまでも推論の域を得ませんが、両国語の品詞の対応を先ず決めてから、語順の比較を行ったのではなく、両国語の語順が異なるように品詞の対応を決めているようです。
    歴史を振り返っても日本人はその昔、中国語に対しても同じような扱いをし、近代の欧州語に対しても同じ扱いをしようとしているのです。その結果、日本人にとって全ての外国語は日本語と語順が異なり、従って外国語同士は語順がよく似ているという考えが無意識のうちに形成されているのではないかと思われる現象がよく見られるのです。他のアジアの人達が英語を自由に扱うの傍観するだけで、日本人だけは英語ができなくても許されるという甘えが見られるのは、日本語は全ての外国語と語順が異なるのであるから、外国語同士の間では語順は同じであり、中国人や他のアジアの人が英語が上手なのは当たり前であるという意識がどこかにあるのかもしれません。実際、中国語と英語は語順が同じである等という人が多くいることは皆さんもご存じの通りです。
    日本の中学校などでは、日本語と語順が同じ、I walk to school. というよく使われる英語を教えずに、I go to school on foot. などというあまり使われない英語の方がよく知られているのです。その理由は、次に示すように、日本語と英語の語順が異なるような対応があたかも存在するように見えるため、語順が異なっていることを強調したい人達にとっては都合のよい文だからです。



    誤解を避けるためにもう一つ注意しておきたいことがあります。 上の説明を聞いて、「では、goには”行く”という意味がないのか?」という質問をする人がいても不思議ではありません。この質問に対する解答を理解するためには「重ね合わせ・省略の法則」を先ず理解する必要がありますから、先ず「 重ね合わせ・省略の法則」を参照してください。
    重ね合わせ・省略の法則によると、I go to school on foot.という文は


    という情報が単純に重なり合って、重複する"I" という主語が省略されたものであるということができますが、ここで、(1)における"go"(=行く)という形容詞と、"to school"(学校に行く)という形容詞には意味的に重複する部分(=行く)があり、二つの形容詞は矛盾さえしなければ共存します。意味が重複する部分が存在するということに気付かないため 「学校に行く」の「行く」という意味は"to school"という部分にも含ま れているということに気付くことができず、"to school"の意味は「学校に」であると誤 解してしまっているのです。
    ここで説明している「意味が重複する」場合は意味が重複しない場合に比べて非 常に少ないであろうということは言葉の経済性から考えても明らかです。もう一つ例をあげておきます。


    「依存している」という意味が重複している場合と重複していない場合があることに注意してください。

    《意味が重複していない場合》(I walked to school.等)

    "walked" と "to school"という2つの形容詞には共通する意味がないこの場合の方が 圧倒的に多く、英語のverbを論じる場合は、この場合を中心にして論じる必要があります。英語研究者の多くは、逆に圧倒的に少数でしか存在しない「意味が重複する場合」のみを分析の材料に使って、一般化しようとしているようです。なぜ多数存在するものを無視し、少数の存在のみを扱うのでしょうか? もちろん無意識にですが、その理由は「はじめから、日本語と英語は語順が異なっているように見させることができる数少ない例だからです」。外国語と日本語の主な違いは語順の違いであるという中学低学年当時の低いレベルの認識から未だに卒業できないのです。少し上級の英語学習者は語順などで苦労はしていないのです。
    「to school = 学校に」と思い込み、当然の帰結として「to = に」などという「英語の 前置詞=日本語の助詞」という日本の英語学習者にとって全く不幸な結論を導いてしまっているのです。これは英米人にとって最もdisturbingな前置詞軽視となって表れているのです。日本人が助詞を重要視することと、英米人が前置詞を重要視することの意味は全く異なるのです。助詞は日本人でもよく間違う位難しいという意味で大切であるというのに対し、前置詞は誰も間違わないくらい基本的なものであるという意味で大切なのです。日常の日本語では助詞がよく省略されるのに対し、英語では前置詞は省略できないのです。日本でも「前置詞が大切である」と主張する人がいますが、そのほとんどは日本語の助詞が大切だという意味で主張しているだけで、結局は軽視しているのです。短歌における枕詞や、俳句における季語など、装飾的な機能であることに気付くと俄然張り切ってしまうのがきっと国民性なのでしょう。
    意味が重複していない場合に注意しなければならないことがあります。それは、意味の異なる複数の形容詞を並べた場合、後に配置される形容詞の方が基本的な意味を表し、前に配置される形容詞はニュアンス的な細やかな情報を表すということです。また、配置される形容詞が他の形容詞と矛盾する場合は、後の方の形容詞の意味が優先します。例えば、I walk to school. では、"walk"という形容詞より、"to school"という 後の形容詞の方が基本的な意味を表しており、They climbed down. では "climbed" と いう形容詞より、"climb"の単独の意味と矛盾する形容詞の意味をもつ"down"の意味が優 先されます。このように連続して形容詞をニュアンスから基本構図へという順で並べる場合に対して、その順を崩し、優先順位を変更する場合があります。 例えば、She is cooking in the kitchen. という 通常の順を、She is in the kitchen, cooking. のような順にすることがあります。”is cooking in the kitchen"などを「合成形容詞」と呼んでいます。「合成」という理由は,この形容詞は"is" + "cooking" + "in the kitchen" という形容詞の単純な和から成っているからです。

    《重複している場合》 (I go to school.等)

    "I go to school"のような場合ですが、"go"と"to school"が意味的に重複していま す。"go"には「行く」という意味があり"to school"には「学校に行く」という意味があ るので、「行く」という意味が重複しています。このような意味の重複は、英語全体の表現の数に比べれば非常に少数ですが、"I go to school."が "I commute to school."よりもより一般的であるように、使用頻度は非常に高いため、学校文法では意味の重複している場合を最も通常な形態だと思ってしまっているのでしょう。
    また「重複」しているということは、"to school"という形容詞を取り去っった結果でき る文 "I go."は元の "I go to school."における "I go"の意味をそのまま保持している ということになり、"go to school"における "to school"は「合成形容詞」を構成する形容詞ですが、「省略可能」であるため副詞句 (=C')として機能している形容詞であるということができます。

  3. 【動詞は形容詞である】

    日本語と英語の語順が反対になるように品詞を決めていった日本の英語指導者達に学 ぶわけではありませんが、本講座の根幹の一つである「重ね合わせ・省略の法則」が成り立つためには、通常、形容詞として呼ばれていないものも形容詞と呼ぶ必要があります。既に前段で気が付かれているかと思いますが、本講座では"I walk to school."等におけ る "walk" と "to school"を形容詞としてみなし、この二つの形容詞の単純和である"walk to school"を合成形容詞と呼んでいるのです。皆さんが習ってきた英文法では、”walk"のことを形容詞などと呼ぶことは無知以外の何物でもないということになりますが、そ の理由として「重ね合わせ・省略の法則」がより普遍的な形にまとめることを目的とする以外にも次のような大きな理論的な理由があります。それは、形容詞を「名詞を説明する部分」と定義しているということです。英語関係者に限ったことではないとは思いますが、定義をいとも簡単に無視する人が非常に多いのです。定義という言葉の意味を「定義」しなければならないという悲しい論理的無節操な状態が英語の文法などを研究している人達の間で日常化してしまっているのです。仰々しく定義など与えても、それを守りたくなければ、はじめから定義などしなけければよいのです。I walk. という文において"walk"は明らかに、名詞"I"を説明しており、形容詞の定義に従えば、"walk"は形容詞というこ とになります。もし 、この結論が気にいらないならば、そのような定義をしてしまった のが悪いのであって、別の定義に改めればよいのです。定義をそのままにしておいて、"walk"は形容詞でないと言い張るのは、ただのわがままなのです。一般に英語学というものが学問足り得ないのは、このような論理的厳しさが存在しないからです。英文が整然とした構造をもった体系であるということが見えてくるためには、「動詞を形容詞と呼ぶ」という一見矛盾した見方などを受け入れていく必要があるのです。

  4. 【 概念と概念の関係】

    「動詞」という概念と「形容詞」という概念の関係が分かっていれば「動詞のことを 形容詞と呼ぶ」ことは論理的には全く問題ありません。これは植物のことを動物と呼んだり、右のことを左と言ったり、飛行機のことを汽車と呼んだりする場合とは全く異なり、日本のことを極東の国と呼んだり、大統領を政治家と呼んだり、右翼手を外野手と呼んだりする場合と同じで、全く矛盾はしていないのです。右翼手が外野手であるように、動詞も形容詞なのです。上にあげたような概念(=用語)間の関係を包含関係といいますが、形容詞とか動詞などの用語を使う場合にはそれらの用語がどのような関係にあるのかということを確認しておくことが、その用語を使うときの守らなければならない基本的な作法なのです。

    例文(動詞の機能)